「間違っている」を考える

或る会議での話。
Aさん:「〇〇病院のSW〇〇さんのことですが、福祉の専門ではないのに、専門外の事にまで入り込んで、トラブルになることがあって、困るんですよ。」
Bさん:「〇〇事業所の代表△△さんと交流があるようで、△△さんも、領域外の事も引き受けてしまわれるので困ります。御二人とも、間違っていますよね。」
Aさん:「そうそう。でも、それを間違っていますと指摘すると、攻撃しているようで、言えないこともあるんで、どうしたらいいんでしょう。」

ちょっとわかりづらい話かもしれませんが、同じようなことを、現場で時々耳にします。
会議での発言者のAさんは、長年、福祉分野におられる方で、知識も豊富ですし行動力もある。Bさんは、精神保健分野のエキスパートです。
この会話を聞いている私は、ずぶの素人。福祉分野も医療分野も何の経験も知識も持っていません。
具体的に何が起きているのかは、その前後の会話にあるのですが、それを書くと、かなり特定されてしまうので割愛させていただきます。

簡単に言うと、AさんやBさんの「福祉部門や精神保健部門の立場」から見ると、〇〇さんや△△さんがやっているのが「間違っている」というのです。でも、〇〇さんや△△さんにもおそらく「自分たちの立場(基準)」で仕事をしているわけで、〇〇さんや△△さんに言わせれば、AさんやBさんの方こそ「間違っている」と言うかもしれません。

この会話で、考えたいポイントは「何が正しくて何が間違っているのか」ではなく、「正誤を決めるのは何か」ということです。

これは、内部監査に携わっていた時、常に考えていた事と共通します。
「検査」と「監査」の違いということと通じる部分があります。
検査も監査も、同じ「査」の文字を使っています。これは、物に物差しを当てて計測する動きを表した漢字です。
違うのは、『検』と『監』。
『検』という字は、もの(木)を複数の人が見て同じ意見になる(つじつまが合う)ように見るという姿を現しています。
ですから、『検査』は、一つの共通する基準をもとに、評価(合否・正否の判定)をする事を示します。
一方、『監査』の『監』の文字は、盆に入った水(皿)を上から覗き込んで見る(臣)姿を現していて、「手本に写して、注意深く見る」ということになります。
決して、合否や正否を判断することが目的ではなく、目の前にある事実がどういうものかを見極めるということが目的なのです。
ですから、内部監査を行っている時、間違っているかどうかではなく、どうしてそのようなことが起きているのかを考えることこそ重要だと考えていました。

蛇足ですが、「行政監査」という言葉があります。
福祉部門など、行政の認可事業や補助金、委託事業などを対象に、当局が定期的に行うものです。私も過去に何度か立ち会うことがありました。ただ、残念ながら、「行政監査」は『監査』とは程遠いことが判りました。今は、どうか判りませんが、ほんの2年ほど前の「行政監査」に立ち会った時、書類の印鑑とか日付とか、綴じ方とか細部についてかなり厳しい指摘をされました。目の前に置かれた書類の山を「点検」して、不備を発見して、鬼の首でも捕ったかのように声高に指摘するのです。そのくせ、事業目標への進捗状況とか、補助金の有効性(コストパフォーマンス)とか、マネジメントレベルとか、そういう業務内容には一切触れない内容だったのを記憶しています。さらに、その監査を行うのは、行政当局が専任した監査委員で、マネジメントの一つも知らないような人なのです。(これ以上書くとまた自分の立場が危うくなりますので止めておきます)

さて、最初の会話に戻ります。
AさんもBさんも、〇〇さんや△△さんを「間違っている」と断じています。
でも、それは、AさんやBさんが使っている「物差し」を当てて判断しているに過ぎないと言えます。
〇〇さんや△△さんは、その物差しを持っていないのですから、「間違っている」と言われても、理由が判りません。
おそらく、〇〇さんや△△さんは自分の物差しをもとに動いているわけですから。

では、どうすれば良いのか。
今、私がいるところは、障がいのある人を支援するため、相談を受ける窓口機能や、他部門と連携し調整して行く役割を負っています。
最も重要な「ものさし」は、障がいのある人・当事者自身ではないでしょうか?
当事者にとって最良の支援のために、なにができるか。
そのために、福祉や医療、教育など暮らしに必要な社会資源が有効に機能できるよう、調整し連携できる関係作りをしていく。

さきのAさんやBさんのように、「間違っている」という批判をしたところで、問題は一切解決しませんし、むしろ、連携や協働を阻害するだけではないでしょうか。
批判をする前に、なぜ、そうなのかを相手の立場に立って考えることが重要でしょう。(と言いつつ、私も、AさんやBさんを批判しているわけですから同じ穴の狢になってしまっていますね。反省)
互いが持っている「物差し」(専門的立場に基づく基準やルール)を互いに擦り合わせて、物差しの違いを明確にしたうえで、「当事者」を中心においた、互いが理解できる「物差し」を使って、それぞれの立場でできることを見つけるまで話し合う事が大事でしょう。
共通しているのは、目の前の「当事者」を支援したいという思いなのですから、きっと協働できるはずです。

余談ですが・・・

ウクライナ紛争は一層深刻な状況に陥っています。
領土を守るため、より強力な兵器供与のため、ヨーロッパ各国も動き始めています。
力と力の衝突がさらに激化していく方向に向かっています。
その他、世界各地に紛争の種は尽きません。
さらに、今、アメリカや中国、北朝鮮など、紛争ではなく、大戦になりかねない状況にあるという見方もできます。
そんな中で、日本は軍備増強へ舵を切りました。「国民の命を守る、国益を守る」と言いつつ、国民を一層危険な状態へ近づけているとしか思えない状態にあります。
おそらく、政府・高官の方々が持っている「ものさし」と、庶民がもっている「ものさし」は全く別物なのではないでしょうか。
今の政府は、どういう「ものさし」を使っているのでしょう。
ひょっとしたら、裏側に、「Made in U.S.A since1945」の文字が刻印されているのではないんでしょうかね。

情報管理のリスクから学んだこと

昨年12月1日、業務管理用のシステムが突然停止しました。日々の活動(相談や調整などの実務)を細かくデータ化しているシステムです。1ヶ月で約900件程度の入力を行っていました。
停止した原因は、クラウドサービスの停止で、3ヶ月ほど前に「有料化」の通告があり、11月末をもって「無料使用」を停止するというものでした。
このシステムは、外部に作成委託し、「HEROKU」をベースに組み上げていました。
作成委託したのは、とある企業なのですが、実態として、その会社は、個人契約したSEに丸投げしていて、担当したSEが連絡不能となって対応できなくなっていました。
委託した会社に何度か対応を要請したのですが、対応不能との返答があっただけで責任回避されてしまいました。
春先から、担当SEとの連絡が取りづらい状態でしたし、時々不具合も生じていて、システムの切り替えを考えていた時に起きた事故です。
停止してからほぼ3ヶ月経過しましたが、解決策は見つからず、お手上げ状態です。
現在は、私が、急遽作成したデータベースに記録を取っていますが、セキュリティ面での不安があり、早急に改善が必要な状態です。
次のシステムも、準備を開始し、年度頭には切り替えができるめどが立ちましたが、過去3年分の記録が全く使えなくなりました。特に、利用者データ(約500人)の詳細なものが全く見えない状態にあり、新システムでは新たに基本情報を入力しなくてはならなくなっています。かなりの労力と時間が必要で、4月1日までに間に合うか不安な日々を過ごしています。
さて、起きてしまったことを後悔しても仕方ないので、今回の事態をどう捉えるかについて考えたいと思います。

いろいろ突っ込みところはあると思いますが、まずは、「デジタル化におけるリスク」について考えましょう。

今、行政を始め、様々なところでデジタル化が進んでいます。
効率性や情報保護などの視点でデジタル化は有用です。しかし、余りにシステム化が進むと、いざ、使用できない事態に陥ると手も足も出なくなるというリスクがあります。
かといって、アナログな方法(紙ベースでの管理)はもっと厄介ですよね。
ですから、バックアップの仕組み構築はとても重要です。データのバックアップをきちんとしていれば、万一の時、傷が浅くなります。この点をしっかり考えておくべきでしょう。

また、今回最も困ったのは、システム設計を結果的に個人に委託したため、担当がつかまらない限り修正や回復は出来なくなるということです。システム開発では、ベンチャー企業を使うケースも多いとは思いますが、やはり、万一の時、組織的な対応ができる企業と組んでいくことは必須です。

更に言えば、自社である程度コントロールできるようなシステムにしておくことでしょう。今回「HEROKU」というデータベースアプリをベースにしたため、それを使えるSEがほとんどいなかったことも重大な問題でした。これが、アクセス等汎用なデータベースであれば、何とか対処できたかもしれません。

こうした教訓をもとに、次のシステムについては、利用実績が多く、少し古臭いかもしれないけれど汎用性の高い「アクセス」ベースのシステムにし、設計委託先も、チーム対応いただける会社にお願いしました。
また、バックアップシステムについても、基礎データをCSVで吐き出す事ができますので、このシステムとは別に自社のクラウドに保存しておくことにしました。

リスクマネジメントの基本。予見されるリスクに対して、コントロールできる方法を複数持っておくこと。
転嫁・低減・回避のいずれの道を選択するかも明確にしておき、最も被害の小さい方法で対策を打っておくこと。
今回は、「受容」しか選択の余地はなく、重大なリスクとなってしまいました。

現象面での対応と対策について書いてきましたが、今回の件でもっと頭に来ているのは、こうした事態が容易に予測できた(リスクマネジメント)はずなのに、何も手を打って来なかった「IT顧問の存在」です。
私の勤務している法人には、IT顧問という肩書の人がいます。
顧問ですが、さほど高給ではなく、まあ、何かあったら解決します程度の関わりなのですが、この人が、今回トラブルになったシステム開発に深く関与していたということです。先ほど示した委託会社に勤務していた方で独立して会社を興したようです。まあ、明確な利益誘導で、なじみがあるからといって、ふざけた会社を紹介したわけで、今回の責任の根幹はこのIT顧問にあるわけです。
更に言えば、これだけ現場で困窮しているのを知りながら、顧問として何の役割も果たしていないことに一番の怒りを覚えています。
出来れば、実名を公表し、もしこの方と関与しているところがあるなら、即刻縁を切ることを呼びかけたいくらいです。
大学で講義もされているようですが、この人に教えてもらった学生は不運です。
リスク感覚とか責任感とか微塵もなく、問い合わせをしてもなしのつぶてで、気が向くと意味不明な返信(専門用語を連ねてけむに巻く)を送ってくる。人間としてどうなのかと思います。
一応、会社を経営しているようですが、こうしたいい加減なベンチャー企業が駆逐されなければ、次に続く起業家は生まれにくくなるばかりでしょう。自分の持っている技術やスキルに自惚れて、組織を率いるトップとしての資質に欠ける人は起業すべきではないと言わざるを得ません。

「人は資産」です。
どういう人を組織は重用するか。スキルや資格だけでなく、人としての資質もしっかり見極めること。これは、経営者層に訴えたい事です。

PC雑感④新年のご挨拶

何かと忙しく、しばらくHPの更新ができずにいました。そうしているうちに、年が明け2021年(喪中のため、新年のお祝いの言葉は省かせていただきます)。
コロナ禍で日常が大きく変わってしまった2020年でしたが、皆さんはどんな気持ちで新年を迎えられたでしょうか?
リモートワークや外出制限、帰省自粛などで、人との繋がりの在り方が大きく変わってしまったようです。
私自身も、いつもなら娘たちと顔を合わす正月に夫婦二人。元旦には娘からTV電話があり、8月に生まれた孫の顔を見る事が出来ました。私が子ども頃、未来社会の一つに空想したものが現実になり、日常に取り入れられている事を改めて実感しました。PC自体がまさに夢の仕組みですよね。判らないことがあればすぐに検索。大きな百科事典を広げていた時代を知っている者にとってまさに未来社会と言えるでしょう。パソコンは苦手という人も、スマホはバリバリに使っていて、SNSでいろんな人と繋がっていける。もはやデジタル技術・ITは人の営み・社会の一部になりました。
「ドラえもん」ほどではないけれど、これから先もどんどん夢の様な仕組みや道具がでてくるのでしょう。
そして、それが、目の前の「コロナ禍」や今後起こり得る危機を乗り切るための大きな力になると信じたい。今はそんな希望をもって日々を過ごす事ができればと願います。

PC雑感④

もう30年近く前のことになりますが、生協の「品質管理室・クレーム管理課長」を拝命しました。
配送拠点(センター)で組合員の方からいただくご意見や苦情・トラブルなどが、毎日、300件以上集まってくる部署で、こうしたご意見や苦情をもとに、原因調査や改善策の指示など品質管理の向上に寄与する部署です。
着任した時、驚いたのは、毎日集まってくる情報は「紙」でしたので、それを全てデータ化する作業があるのです。熟練のパートさん2名が朝から書類を見ながらエクセルに入力し続けていました。担当職員は4名で、それらのデータから、重要なものをピックアップして調査や対応について取りまとめ、関係部署へ提案・報告し、回答書を作成していました。課長はそれを取りまとめ、品質管理室長へ報告をし、特に重大・重要な問題について組織検討される流れでした。ちょっと長くなりましたが、こうした情報処理と分析というプロセスはどこの会社にも存在すると思います。
当時、まだ、PCの活用は今ほど進んでいませんでしたから、大半はアナログ(紙を基本に人力処理)で、時間が掛かる。重要な案件も結果完了するまで相当な時間が必要で、結果的に、商品事故の被害を止める事が出来なくなり、大きな損失を生むリスクが高かったのです。
課長になって初めに取り組んだのは、これらのプロセスのデジタル化でした。
今ではあまり見かけなくなりましたが、当時「ACCESS(アクセス)」というソフトを使って、情報入力の時間短縮と抽出・分析・数値化(見える化)を進めました。


「アクセス」ソフトは、当時のエクセルとは違い、名の通り、サーバー上において、複数の人が情報を共有(アクセス)できるメリットがありました。
情報は同時に、関連部署が見ることができるので、取りまとめ報告するというプロセスも省けます。元データに「重要度」の区分を設ける事で対応を急ぐ事もできました。数量化できるため、損失被害の予測も可能です。
ただ、アクセスは設計に手間が掛かりました。外注する事も考えましたが、使い勝手を考え、自分で設計する事にし、3ヶ月ほど掛けて完成させました。業務プロセスを書き出し、流れ図を作る、そして、それに沿って必要な入力画面や出力帳票等を設定する、数値化のための計算プログラムを組み込み、一つ一つ手探り状態で進めました。
結果、パートによる入力時間は半減しましたし、課員は同時進行で作業でき、関連部署や品質管理室長も共有でき大きく時間短縮でき、重大クレーム・事故への対処は格段に速くなりましたし、正確性も向上しました。
この仕組みは、その後、各事業所(センター)をネットワークでつなぐ事で、さらにリアルタイムで品質管理につながるようになりました。
そして、この作業を通じて、手順書が整理でき、新任者への教育プログラムへつなげる事もでき。組織全体のクレーム対応力の標準化と向上を得ることができたのです。


ここで、お伝えしたいのは、デジタル化(IT化)による業務改善は、与えられるものではなく、自分たちの問題意識次第だという事なのです。
外注していれば、もっと迅速にできたかもしれません。でも、自分たちで作ったからこそ、作成作業を通じて、作業プロセスの見直しや基準の明確化、手順書の策定などが進められたことが大きな成果だったと思います。完成までの3か月間、通常業務をこなしながら、業務改善会議を重ね、意見を戦わせてきたことで、クレーム管理課の職員全員が参加したシステムになりましたし、その後の修正作業も容易にできました。外注していたら、きっと、修正のための費用発生を余儀なくされたでしょうし、どんどん遅くなっていたかもしれません。
今は、SEの手によって、様々な技術・ソフト(アプリ)が開発され、お金をかけて外注すればそれなりに成果になるのでしょうが、現場・自分たちが本気になれるかどうかが大事なのではないでしょうか。もちろん、今の時代、素人の手で作ったようなソフト(アプリ)では太刀打ちできないでしょうし、効率的ではないと思います。
だからこそ、丸投げせず、自分たちが本気なって作り上げる意思と、それに適切に応えてくれるプロを選定する事が重要でしょう。

今、国を挙げてデジタル化推進に舵が切られています。無駄を省き迅速で正確な処理を生み出すシステムが構築され、国民みんながそれを享受できるのなら賛成です。しかし、そこに大きな経済効果(金儲け)に重きを置いたり、政治家への忖度が働いたり、官僚・行政マンが企業に丸投げしたりすれば、極めて大きな無駄や不正を生むかもしれません。

地方行政においても、私が以前関わったある事業で、それに近い状態を見てしまいました。多額な投資をして開発したソフトが、極めて不十分な状態でリリースされました。私は、ソフトに欠陥がある事を指摘し修正を求めましたが、主管する行政マンとNPO代表が無視(封じ込め)し、運用されています。「計画と予算(補助金)」に縛られて目を瞑っているのです。こんなことにならないようにしたいものです。

PC雑感

行政での「脱ハンコ」の動きとともに、デジタル化が進行しています。歓迎すべきことなのでしょうが、ふと思い出したことがありました。
7年くらい前、生協の内部監査をしていた頃、配達事業のデジタル化が一気に進みました。配達員(職員)全員にタブレット端末を携帯させるものでした。配達の際に、注文の追加や訂正、GPSで所在の確認、トラブルの報告等々、組合員対応における報連相・業務管理を行うシステムが導入されたのです。大幅な「紙」の削減と、リアルタイム対応、トラブルリスク対応で、大きく業務改善が進み、時間短縮(長時間労働の削減)にもつながりました。経営効果も大きいものでした。
ですが、内部監査である事業所へ行ったところ、私とほぼ同年代の職員数人が落ち込んでいる様子なのです。話を聞いてみると、「長年配達現場で頑張ってきたが、今回のタブレット導入で一気に自信がなくなった」「体力の不安だけでなくデジタル化へついていけない」「若い職員がすいすいと使っているのを見て教えてもらう側になるのが悔しい」等、デジタル化推進に置いてけぼりにあったのは明らかでした。デスクワーク中心でPC活用は当たり前の私にはちょっと驚きでした。導入時の研修はあったようですが、日常的に触れていない人間にとって途轍もなく難解に感じ、拒否感を持ってしまうようでした。

今回の行政レベルでのデジタル化はどうなんでしょう?いわゆる「デジタル難民」への配慮は出来ているのでしょうか?
NPOで働いていた時、多くの高齢者の方と接してみて、スマホやインターネットなどとは無縁という方が大半だったように思います。ただでさえ、行政手続きというのは難解なのに、それらがデジタル化されて「ネットで手続きしてください」などといわれると、本末転倒になりはしないでしょうか。そういう問題が置き去りにならないよう、住民サイドに判り易い改善改革が進むことを願います。

前置きが長くなりましたが、行政レベルでもデジタル化が進むなか、PCやスマホを日常的に使える様、自ら勉強するしかないと思います。このブログをご覧いただいている方は当然すでに利用できている方ばかりでしょうから心配ありませんが、あなたの身の回りに「デジタル難民」になりそうな方がいたら、お節介でも一言声掛けしてみて下さい。よろしければ、高島ライフ・サポートをご紹介いただければ幸いです。(宣伝でした、すみません。)