安倍殺害事件とマネジメント

大事件というのは、やはり、想像を越えたところで起きるものですね。
私は、安倍氏や自民党の支持者ではありませんし、アベノミクスやコロナ対応についても評価はしていません。むしろ、彼がやってきた「政治屋」「3代目」としての罪について問い質したい立場です。しかし、だからと言って殺害するという暴挙を許すことはできません。
今回の件について様々報道が続いていて、旧統一教会についてもようやく社会的な制裁が加えられるところに向かっているように思いますが、それだけに目を奪われ、ほかの怪しげな「宗教団体」についてもぜひ、厳しく批判される社会になってほしいものだと思っています。
前提論はこれくらいにして、今回の本題。この事件をマネジメントの視点で考えてみたいと思います。

一つ目は、犯人について。
事件を起こした事=不正・不祥事と捉えてみると、やはり、「不正のトライアングル」が存在していたのが明らかです。動機と機会と正当性の3条件が揃ってしまった。
動機は、「報復」旧統一教会にめちゃくちゃにされた人生・家族への恨みとそれに関与していた標的への報復。
機会は、実行しやすい環境が整ったこと。遊説が身近で行われ、なおかつ、手薄な警護体制が明白だったという事でしょう。
正当性は、自分がこんなになったのは自分のせいではない。旧統一教会のせいであり、復讐するのは当然であるという思想。
そしてなおかつ、彼の身近にそういう状態を注意し制止する人が居なかった孤独が根底にあったという事でしょう。
コロナの拡大で、再び、人々が孤立する環境が広がっています。収入の不安が高まり、生活困窮する人も増加するでしょう。ストレスの増加でトラブルも増えるに違いありません。不正・不祥事の発生リスクは高まっているのだという意識でいることが肝要です。

二つ目は、リスクマネジメントについて。
過去、大物政治家が命を狙われるという事件は何度も起きています。そして、遊説で発生する事は少なからずあるわけで、そのためにSPが警護する体制が出来たのです。でも、防げなかった。安倍の周囲にそういうリスクについて考えていた人は居たはずです。警視庁も奈良県警もそれなりに緊張感をもって望んでいたはずです。それでも事件は起きた。
例えば、今回は「手製の銃」が使用されていますが、あの場所で、安倍の命を狙う方法はいくらでもある。例えば、ダンプで遊説場所に突入するとか、周囲の建物からライフルで狙うとか、恐らくそういう想定はされていたでしょうし、遊説開始前に多くの警察官が動員され、周囲に監視の目を向けていたはずです。それでも事件は起きた。それも、あまりにも稚拙な警護を見せつけるような形で起きた。
多くの人が、SPが身を挺して守れなかったのかとか、どうして後方が手薄になったのかとか、疑問を持たれていると思います。こうしたことは一つ一つ検証され公表されるでしょう。(解明される頃には関心は低下しているでしょうが)
リスクマネジメントの基本は、「影響度✖発生頻度」の値をもとにリスク評価をしてコントロールを確立することです。(私は、「影響度✖発生頻度÷統制度」でのリスク評価をお勧めしますが・・)
当局は、今回の事件の、発生頻度を極めて低く評価していたのではないかと考えます。実際、長崎市長襲撃殺害事件が2007年ですから、15年近く同様の事件は起きていないことになります。国会議員となると2002年石井衆院議員ですから、20年前。警護に当たった警官の多くは、知識として知っていても、実経験を持ってない人ばかりだったはずです。そういう点からみると、やはり、組織的に今回の警護計画を指揮していたトップ層の危機意識・リスク意識に問題があったと言わざるを得ないと思います。

今回の事件を、単なる政治の世界の話にするのではなく、リスクマネジメントや不正防止という点で考えてみてはいかがでしょうか?

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